「挑戦と失敗を…」 福岡ソフトバンク・新垣渚氏が育成世代に求めること

2019.6.10

福岡ソフトバンク、東京ヤクルトでプレーし、最速156キロの直球で野球ファンを魅了した新垣渚氏は、現在はNPO法人ホークスジュニアアカデミーの「ホークスべースボールスクール」のコーチを務めている。高校生まで沖縄で育ち、プロに入るまでケガや多くの試練にぶつかってきた。それでも乗り越えられたのは、野球が好きという思いが強かったからだという。選手から子供たちを教える立場となり、野球の魅力を伝えていくことが自身の使命となっている。現在、侍ジャパンもU-12代表、U-15代表と各年代で世界を相手に戦っているが、新垣氏の言葉には、育成年代の選手が上達するために何が大切なのか、ヒントが詰まっている。

写真提供=Full-Count

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2004~06年に3年連続2けた勝利を挙げ福岡ソフトバンクで活躍、2016年に東京ヤクルトで現役を引退

 福岡ソフトバンク、東京ヤクルトでプレーし、最速156キロの直球で野球ファンを魅了した新垣渚氏は、現在はNPO法人ホークスジュニアアカデミーの「ホークスべースボールスクール」のコーチを務めている。高校生まで沖縄で育ち、プロに入るまでケガや多くの試練にぶつかってきた。それでも乗り越えられたのは、野球が好きという思いが強かったからだという。選手から子供たちを教える立場となり、野球の魅力を伝えていくことが自身の使命となっている。現在、侍ジャパンもU-12代表、U-15代表と各年代で世界を相手に戦っているが、新垣氏の言葉には、育成年代の選手が上達するために何が大切なのか、ヒントが詰まっている。

 新垣氏が注目を浴びたのは沖縄水産高校の時。当時では珍しかった150キロ投手として、1998年春・夏の甲子園に出場した。沖縄県大会では当時の高校生最速記録の151キロもマーク。甲子園後には高校日本代表にも選ばれた。

 ただ、華々しい活躍の陰で小さい頃からけがとの戦いもあった。小学校と中学校の時に4度、右すねの手術を受けた。それでも高いレベルを目指し、沖縄県内の名門高校に進んだという。

「練習はきつかったですし、自分もどこかで『けが明けの僕なんかが通用するわけない』と思ったこともありましたが、野球が好きだという思いはずっと持っていました。だから、甲子園にも出ることができたと思っています。高校の裁弘義監督との出会いなど人とのご縁もありました。どこで人生が変わるかわからない、と実体験からそう思うので、子供たちには可能性を信じてほしいなと思います」

 2002年ドラフト会議で、自由獲得枠で当時のダイエーホークスに入団。03年には新人ながら先発ローテーションに入り、04年~06年まで3年連続で2桁勝利を挙げるなど、ホークスの一時代を築いた。2016年に東京ヤクルトで現役生活を終えてからは、幼児から小学校3年生が通うベースボールスクールで指導者としての道を歩んでいる。2017年、18年は小学5、6年生で編成された12球団ジュニアチームが日本一の座を懸けて戦う「NPB12球団ジュニアトーナメント」の福岡ソフトバンクジュニアの監督も務めた。育成年代の指導にも詳しい新垣氏は上達のポイントに「楽しさ」と「高い目標設定」を挙げる。

「子供たちには『野球を好きでいてほしい』と常々、言っています。野球はうまくなると楽しい。うまくなりたかったら、練習をするしかないと思います。プロ野球選手になりたいのであれば、好きな野球を辞めないでほしいですね。野球を辞めてしまうと、夢を自分で諦めてしまうことになる。続けていれば、必ずチャンスがありますから」

「たくさん挑戦をして、失敗をして、そういう繰り返しから、自分にしかわからないことを得てほしい」

 けがが多かった新垣氏が折れそうな心を何度も立て直し、練習に打ち込めたのも野球が好きだったからだと振り返る。体がそう強くない選手でも、自分なりに練習への取り組み方を考えていければ、道は拓けてくると話す。

「目標は高く設定してほしいなと思います。その中に、小さい目標も立ててひとつずつクリアしていく。自分にそういうノルマを設定していければ、自然と高い目標に向かっていけるのではないかと思います。それを一人ではなく、家族や仲間とその“高い山”へ全員で向かっていく。そうすればプロなどの狭き門でも通れるような選手になれると思っています」

 ジュニアチームではその世代で高いレベルの選手が集まってくる。その子供たちが次のステージで戦っていくためには、どのような心掛けが大事になってくるのだろうか。

「(チーム内では)練習時間はみんな平等に与えられています。人と同じことをしていたら、人と同じ成長しかしません。バットスイングをしたり、シャドーピッチングを家でしたりするのもいいですし、子供たちにはイメージを持って練習をやってほしいですね」

 甲子園という全国の舞台に立つ姿でもいい。侍ジャパンのユニホームを着て、世界の屈強な相手と戦っている試合でもいい。イメージが描けなければ、目標には辿りつけないと話す。

「大人になると、現実を見つめ『絶対に無理』と言って、挑戦をしなくなります。ですが、子供たちにはたくさん挑戦をして、失敗をして、そういう繰り返しから、自分にしかわからないことを得てほしいと思います。人によって、考え方も身体の動かし方も違います。『僕は他の人とは違うんだ』というような感覚を大事にし、実体験から、自分を知ってほしいですね」

 けがで苦しんでも、150キロを投げる剛速球投手になれた。栄光や挫折を経験し、人間力も磨かれた。歩んできた道で得られたことを今、新垣氏は子供たちに還元している。野球を通じて知ることのできた感動や喜び、礼儀や人としての振る舞いなど、伝えていきたいことはたくさんあるという。新垣氏のような普及活動が、日本の野球界の未来を明るく照らしていくことになるだろう。

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