育成年代にもトップチームにも共通― 斎藤雅樹氏が考える、国際大会で選手に必要な要素とは

2019.5.13

2016年10月28日からメキシコ・モンテレイで開催された「第1回 WBSC U-23ワールドカップ」で侍ジャパンを見事、世界一に導いたのが、当時読売の2軍監督だった斎藤雅樹氏だった。現役時代、数々のタイトルを手にしてきた名右腕の斎藤氏だったが、初めての日本代表は何にも代え難い、感慨深い経験になったという。育成年代やトップチームも含め、選手が国際大会で活躍するためにはどのようなことが重要だったのだろうか。

写真提供=Full-Count

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プロでは輝かしい成績も…侍ジャパンU-23代表監督が初の“日本代表”だった斎藤氏

 2016年10月28日からメキシコ・モンテレイで開催された「第1回 WBSC U-23ワールドカップ」で侍ジャパンを見事、世界一に導いたのが、当時読売の2軍監督だった斎藤雅樹氏だった。現役時代、数々のタイトルを手にしてきた名右腕の斎藤氏だったが、初めての日本代表は何にも代え難い、感慨深い経験になったという。育成年代やトップチームも含め、選手が国際大会で活躍するためにはどのようなことが重要だったのだろうか。

 1989年には11試合連続完投の偉業を達成するなど、平成最多の106完投をマーク。38度の完封勝利、さらには沢村賞、最多勝と輝かしい成績を残してきた斎藤氏が侍ジャパンの監督を任されたのは3年前。それまで日本代表のカテゴリーに入ったことはなかった。

「代表チームのような集合体に入ってプレーしたのは高校時代(市立川口・埼玉)、2年生の時の“埼玉選抜”だったことくらいでしたので、ジャパンのユニホームの採寸、写真撮影をした時は嬉しかったです。日本を背負うというか、国・地域同士の対戦をしたことがないので、非常にやりがいがありました」

 大会9試合を通じ、8勝1敗の成績で頂点に立ち、指揮官は背番号77にかけて7度、宙に舞った。表彰式で金メダルを手にした時は「五輪のメダリストの気持ちが少しだけ分かった」と感動したという。

 招集から3週間でチームを頂点に導いた。普段から“明るさ”を作ることを心掛けた斎藤氏だが、合流日前夜を緊張して迎えていたと振り返る。

「メンバーの前で何を話そうかとずっと考えていました。それが監督の考え、チームの方針にもなりますから。23歳以下だったので、若さを売りにしていこうと思い『元気ハツラツ!』というテーマで話をしましたね。『お前たちは若さが武器。心配せずに積極的に行こう』と。ベテラン選手じゃないですが、鈍い動きなどはこのチームには必要ありませんから」

 監督自らも「50代で初めてのジャパン選出だ!」と周りを和ませる発言をするなど、明るく振る舞ったという。チームは武田健吾外野手(オリックス)、植田海内野手(阪神)の1・2番を中心に機動力を生かして、得点を重ねた。スモールベースボールをモットーに頂点まで駆け上がった。

「パワーや体の大きさだけだったら、日本よりも上回っているところはありました。でも、スキを突くとか、細かい野球をやらせたら日本がどこよりも強いと思っていました」

「臨機応変にやれないと、戦い抜くのは難しい」

 スーパーラウンドでパナマだけには2-3で敗れたが、偵察や相手を分析した際、優勝できる自信を十分に持っていたという斎藤氏。あとは選手がパフォーマンスを出し切れるかどうかがポイントだったと明かす。

「試合よりも、イレギュラーなスケジュールに対応するのが、一苦労でしたね。練習時間や場所も変わりますし、試合前も練習ケージをグラウンドに出さないからとか、言われたりもしました。そういう事態に臨機応変にやれないと、戦い抜くのは難しいと思います。今の選手たちにはルーティーンを持っている人がたくさんいます。それができないと自分がおかしくなるというような選手は、国際大会でパフォーマンスを発揮するのは厳しいと思います」

 選手のルーティーンを否定しているわけではない。刻一刻と変わる環境の中で、自分がその普段の準備をこなせるかどうかが重要なポイントだというのだ。そういう面では、当時のメンバーは影響を受けることなく、日々の練習、準備を黙々とこなしていたと斎藤氏は話す。

「中でも本田圭祐投手(埼玉西武)が一番頑張りましたね。縦のカーブで緩急をつけていたのが大きかったです。向こう(海外)の打者は、基本は真っすぐを待っていました。横の変化にはついてきますが、カーブやフォークなどの縦の変化にはついてこないというのがありました」

 本田投手はチーム最多の3登板、17イニングで防御率0.53の好成績を挙げ、初優勝に大きく貢献した。

 読売の2軍監督で相手投手として見ていた目も生かすことができた。本田投手のようなイースタン・リーグ所属の選手については斎藤監督自身が対戦経験から得た情報を、情報が足りなければ、ウエスタン・リーグは三輪隆コーチ(オリックス2軍バッテリーコーチ)や大塚晶文コーチ(当時中日2軍投手コーチ)、社会人代表監督を務めた経験のある安藤強コーチ(現・東海大監督)の意見を仰いだ。日本のお家芸とも言える「スモールベースボール」の体現は、選手たちの試合前の準備、首脳陣の意思疎通がベースにあった。

「現役選手の時、開幕戦など初戦に向かうのは不安しかありませんでしたが、監督という仕事は選手がどんなプレーをして勝ってくれるのか楽しみしかなかったですね。国を背負うため、勝ちにいかないといけませんが、選手同様、私自身も明るく、楽しめた大会ではありました」

 自身が楽しみ、選手のプレッシャーを取り去る笑顔を見せたことも選手がパフォーマンスを存分に出せた大きな要因だったはずだ。今後、頂点を目指す各カテゴリーでも参考になるチーム運営だったのではないだろうか。

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