侍ジャパンの元スコアラーが語る 世界と戦うために分析班に求められる能力とは

2019.4.29

世界と戦うためには相手の国や地域を分析するスコアラーの力も重要なポイントとなる。日本が世界一に輝いた2009年、チーフスコアラーを務めていた三井康浩氏は大会前から参加国に偵察に出向き、監督、選手たちにデータを提供し続けた。少ない人数、時間の中で相手国を攻略する糸口を見つけるためには、どのような能力が求められるのだろうか。侍ジャパンスコアラーの仕事ぶりに迫った。

写真提供=Getty Images

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2009年世界一、侍ジャパンの頭脳となった元読売の三井康浩スコアラー

 世界と戦うためには相手の国や地域を分析するスコアラーの力も重要なポイントとなる。日本が世界一に輝いた2009年、チーフスコアラーを務めていた三井康浩氏は大会前から参加国に偵察に出向き、監督、選手たちにデータを提供し続けた。少ない人数、時間の中で相手国を攻略する糸口を見つけるためには、どのような能力が求められるのだろうか。侍ジャパンスコアラーの仕事ぶりに迫った。

 三井氏は日本を率いた原辰徳監督(当時)からチーフスコアラーに任命され、2008年11月から参加する国と地域の選手分析を始めた。実際にドミニカ共和国、アメリカ、メキシコ、キューバ、韓国、台湾などに渡って、データを収集した。

「与えられた期間は短いですから、スケジュールはハードでした。一番必要なものは何かというならば、それだけの国や地域を、短期で渡り歩くだけの体力がまず必要になりますね」

 大会は翌年3月からだったが、2月には侍ジャパンのチームが集合する。11月からの2か月間、3人のスコアラーで多くの異国の地へ行き、昼間には試合を見たり、関係者から情報を収集したりした。夜はノートを広げ、ビデオを見て、対策を練った。年末年始の休暇もなければ、夜も自由な時間はなかったという。

「ドミニカ共和国はウインターリーグをやっているので、そこで大会に出場する選手を見ていました。中には他の国の選手もいる場合があります。韓国は日本国内でキャンプをするので、南米だけでなく、そこから日本の沖縄、四国にも行きました。計画なんて立てられません。『試合があるからそこへ今すぐ行こう!』みたいな感じで、慌ただしい時間でした」

 ただ、日本から飛行機を乗り継いで20時間近くかけて到着しても、報われないこともあった。球場で情報収集などをしていると、相手からは“日本から偵察が来た”と警戒されたこともあったという。

「見たかった選手を隠されていたことは結構ありました。代表メンバーではないアメリカやメキシコ出身の3Aの選手が出てきたりしました。そういう場合は、1年前など最近の映像ではないものを現地で集めて、分析するしかなかったですね。映像とは違い、球種が増えている投手もいた。そうなってくると組み立てがガラリと変わってくるので、大変でしたね」

大会期間中も続いた慌ただしい日々「昼夜、仕事漬けです」

 予期せぬ事態が繰り返されたが、2009年の大会前には対戦する可能性のある選手のデータはほとんど揃ったという。三井氏はスコアラーとしての経験があったからだと振り返る。

「球団(読売)に属しているときからのツテを使って映像やデータにたどり着くことができました。外国人選手の調査に関する仕事をしている時から、各国に精通する野球関係者を知っていましたので、スコアラーになる前からの人間関係を生かしました。NPBからの協力、情報提供も多く、大変助かりました」

 データを取るだけでなく、野球関係者からの情報収集も徹底的に行った。聞いてきた情報と自分が持ってきたデータを比較して、自分なりの答えを導き出したという。

 いざ、大会が始まっても分析は続いた。2009年、1次ラウンドを突破した侍ジャパンは舞台を米国に移した。2次ラウンドが始まるまでの調整としてキャンプを行っているMLB球団と調整試合をしたように、他の対戦国もアリゾナやフロリダに分かれ、試合を行っていた。3人のスコアラーで手分けをして、分析へ出かけた。

「アメリカ国内に入っても同じところでずっとやるのではなく、転々としていたので宿泊する場所も変わりました。昼間に試合を見て、夜は宿舎で資料を広げ、ビデオを出して、ノートに書きこんで……それらを朝までにスーツケースにしまって、チェックアウト。“広げて、出して、しまって”の繰り返し。昼夜、仕事漬けです。無理な話ではあるのですが、同じところでやってくれないかな……とか、せっかくいいところに来ているのだから美味しいものを食べにいったり、観光もしたいなという気持ちもありましたが、そんな時間は全くありませんでした。大会期間中は(娯楽的なものは)何もできなかったですね」

 ライバル国の偵察に行くと、実際の映像と全然違うこともあった。投手の場合、ボールのキレ味が違うことが多いという。データでは多くの変化球を持ち球にしている投手でも、実際に勝負球にはスライダーしか投げてこないという投手もいたと三井氏は話す。

「そうなった場合は、立てた傾向と対策は一からやり直しです。でも、ラッキーとも思いましたね。知らないで試合に行ったときの方が怖いですから」

 多くのデータを集めて、分析する中でスコアラーにとって大切なことは「選手に迷わせない」ことだと断言する三井氏。そのために誰よりも自分が情報、データを把握しているという自信を持つことが大事だと明かす。

「打撃コーチ以上の“引き出し”を自分が持っていないとスコアラーはできないと思っています。もしも、選手が2つの引き出しを持っていたり、コーチが5~6個持っていたりしたら、こっちは10個以上、持っていないといけないです。選手には打撃コーチより、スコアラーの方が相手投手のデータを知っているんだと思わせないといけませんから」

三井氏が今後、侍ジャパンのスコアラーを任される人に持っていてもらいたい思いとは…

 国際大会となれば、初めて対戦する投手や打者も多いため、情報はかなり少ない。投手の癖、ボールの質、変化球の曲がり具合、制球の良さ……。それらを見たことのない選手にイメージしやすいように数値化もしているという。

「例えば、コントロールの良い悪いも自分の中でランクをつけていました。外角のスライダーのアウトコースは満点の5点だけれども、内角のスライダーはコントロールが甘くなって真ん中に入ってきたりするから2点くらい、とか。その辺りの分析を頭の中にいれておかないといけません。漠然とミーティングなどでも『この投手は変化球がいい』とかでは選手たちは納得がいかないないだろうし、このピッチャーの球種だったら、どのようにして、どういう風なアプローチで打撃をしていかないといけないとか、言ってあげるのがスコアラーだと思います」

 侍ジャパンは2009年を最後に世界一から遠ざかっている。三井氏には、今後スコアラーを任される人に持っていてもらいたい思いがある。

「日の丸を背負うという重圧は大きいと思います。体力も必要です。場所によっては水や食事も体と合わなかったり、野球以外の要素でも戦わなかったりしないといけない場面もありました。ただ、スコアラーとして言えることは中途半端なことはしてはいけません。選手に嫌われてもいいから、遠慮せずに自分の分析を伝えてほしいですね」

 世界一へと駆け上がった2009年は、決勝の韓国戦のイチロー氏の決勝打、ダルビッシュ有投手(現シカゴ・カブス)が締めたフィナーレ……。どれも野球ファンの心に今でも突き刺さっていると言えるだろう。

「空いた時間にコーチ陣と話をして、首脳陣がどのように選手を使いたいかを聞いておくのもスコアラーにとって大事なことです。知っておくと、こういうケースではこの選手が出される。そうすればこちらも前もって準備、予習ができます。そういうコミュニケーションは大切です。そういう部分があったから、2009年は不振だったイチロー選手の起用にも、ダルビッシュ投手の抑え起用も、チーム内でブレませんでした。だからあのような感動的な場面が生まれたのだと思っています」

三井康浩(みつい・やすひろ)1961年1月19日、島根県出身。出雲西高から78年ドラフト外で巨人に入団。85年に引退。86年に巨人2軍サブマネジャーを務め、87年にスコアラーに転身。02年にチーフスコアラー。08年から査定を担当。その後、編成統括ディレクターとしてスカウティングや外国人獲得なども行った。2009年にはWBC日本代表のスコアラーも務めた。

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